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安保法案成立 [政治]

9月19日、様々な議論・批判を呼んだ安保関連法案が参議院本会議で可決・成立しました。

いかに反対デモが盛り上がろうが、衆参両院において与党が安定多数を確保している以上、このような帰結になるのは多くの人にとって想定の範囲内であったと思われます。

法案の成否以上に大事なのは、むしろこれからの運動の展開であると思われます。

この日をもって戦後民主主義の敗北を読み取る向きもあろうかと思いますが、私は楽観しています。一般の(とりわけ若い)人にまで「立憲主義」なる言葉が膾炙し、一般人がデモに参加するハードルも下がりました。これから法案に参加した議員に対する落選運動も起こるでしょう。

このような状況を見るにつけ、この国において本当の意味での民主主義を獲得する過程が、今、始まったと思えるのです。

そうするためには、法案の成立に際して砂をかむ思いをした人は皆、この日をしっかりと胸に刻み、決して忘れないことが一番肝要なのです。

2015年、9月19日という、この日を!!

セクハラ野次問題 [ニッポンの自画像]

去る6月18日東京都議会本会議において、塩村議員に対してセクハラ的なヤジが発せられたことは、連日メディアで報道され、海外のメディアでも大きく取り上げられています。

このようなヤジの背景には、このような問題(たとえば少子化問題について)何か発言するには、まず自分が結婚しろそして子供を産め、といったあまりに物事の是非をわきまえない感覚があるのだと思われます。

そもそもなぜ少子化が社会的に問題なのか考えてみればわかることです。

このようなコンテキストにおいて子供とは、次世代の労働者であり消費者、納税者であり年金・保険料の負担者です。したがって急速な少子化が意味するところは、労働者の供給や経済の規模の維持、年金・保険制度の持続可能性が危ぶまれるということです。このような意味において、子供は社会インフラに近い意味を持つものであり、社会に生きるものは少子化に無関心ではいられないのです。

他方において、結婚するか否か、子供を儲けるか否かは個人の生き方の問題です。結婚していなくても、子供を儲けていなくても、社会が持続可能であるためには少子化問題にコミットし、余分に税金などのコストを払うなど義務として果たさなければならないし、そうである以上、結婚し子供を設けている人と同様に発言する権利もあるのです。

このような事柄は専門的な知的訓練を受けていなくても、少し批判的に物事の是非を弁える習慣があれば分かることでが、それができずに低俗な野次を飛ばしてしたり顔をしている議員の知的劣化は絶望的です。他方において、やれセクハラであるとか、やれ女性に対する尊厳の問題とか指摘する以前に、既述のような帰結を弁えることでこのような低俗な野次を批判することが、マスコミとしてはより重要な役割だったと思われます。

その他、議会の運営があまりにも形骸化しすぎたため、野次でも飛ばさないと退屈でやってられないという問題もあるでしょう。昨今地方議員の不祥事がマスコミを賑わせていますが、彼らは痩せても枯れても選挙で当選して議員になっているという、これまた当たり前の事実を正面に見据え、あるべき参加型民主政治への議論や理解が深まることを願ってやみません。

なんといっても、「地方自治は民主主義の学校」なのですから。





ユニコーンツアー 2014 イーガジャケジョロ [ユニコーン]

ちょうど仕事が休みの日に近くで開催されるようなので、行ってまいりました。

ユニコーンツアー 2014 イーガジャケジョロ 
横須賀芸術劇場!!

オークションでゲットしたイーガ席、前から13番目ぐらいでしょうか。

まず印象に残ったのは、EBIさんのハイテンション。「甦る勤労」のときは、彼のバラード曲のときトイレに行く人が沢山いて(私も行ってしまいましたが)、逆に印象に残りました。今回は、そのような轍は2度と踏むまいとの意気込んでいたか否か知る由もありませんが素晴らしいパフォーマンス。冒頭の「夢見た男」然り、「ハヴァナイスデー」然り。

EBIさんはこれからこういうキャラなんでしょうか。

ライブに来て良さがわかる曲もありますね。「オレンジジュース」「Keep on Rock'n Roll」「鳥の特急便」。そして、未だ聞いたことが無い曲にも出会えます。「新甘えん坊将軍」「はいYes!」新たな発見もあるのもライブの醍醐味。

昔の曲を聴くのも楽しみでライブに行くのですが、「おかしな二人」とか「服部」とかやってくれないもんですね、聞きたいのに。定番の「人生は上々だ」は、セットリストに入りませんでした。長いですからね、あの件は。「甦る・・・」のときは、30分はグダグダMCをやっていたと記憶しています。都合3時間弱の長丁場になりましたから、途中で帰る人もちらほら出る始末!!やらなければ、今回のように2時間半で終わるということです。気持ちよく帰るには、それ位が限度でしょう。

この日はちょうど民生くんの誕生日。ハンズで買ったのか、巨大クラッカーを何故か客席に向けて発射。おめでとうございます、49歳。こんな風に年を取りたいものだと、つくづく思います。



袴田事件 [ニッポンの自画像]

昨今、この国に起こっている容易に解決策の思い浮かばない問題を考えるにつけ、このような思いが脳裏を巡ります。

日本は先進国であると思わないほうが良いのではないか・・・。

物事がうまくいかないのを政治家や官僚のせいにしても、最終的に彼らが責任をとってくれるわけではないので詮無い話なのです。決定的な民度の低さを棚に上げフラストレーションを発散しているだけで、問題の所在についぞ焦点化できません。それは、結局この国において民主主義が成立するための諸前提(民度の問題を含めて)が欠けていることに由来しているはずなのに・・・。そういう問題をいつかは正面に見据え考えなければならないのです。

そのためには、日本は発展途上国だと認識したほうがよいのです。

たとえば、袴田事件。事件のあらましは連日報道されたのでかきませんが、海外のメディアにおいても収監期間の長さや自白に依存した前近代的司法制度そして死刑制度そのものに対して厳しい批判がなされています。

昨年の5月に開催された国連の拷問禁止委員会において、取り調べの際に弁護士の立ち合いが認められていないことに対して「中世の名残である」との指摘がなされました。これに対して日本政府を代表して機敏に反応したのは上田人権人道大使でした。

「日本は世界一の人権先進国の内の一つだ」との趣旨の発言は会場において失笑をかってしまいました。
「黙れ、シャラップ!!」と激昂気味に反論する上田大使の動画を見た人は皆、同じ日本人として恥ずかしいと思ったと思います。

この人は、本当に日本が人権先進国だと思っているのでしょうか?嘘をついているのならば、そうしてまで守りたいものはいったい何なんでしょうか?このような言動で日本の面子が国際社会において維持されると本気で思っているのでしょうか?

疑問は尽きませんが結果はすべで逆であり、赤っ恥をかくことは免れないでしょう。

そして、全てはそこから始めるしかないのかもしれません。日本は、「恥の文化」なのですから。それ以外に規範がないのならそうするしかないのです。


全柔連 セクハラ [徒然]

久しぶりに嫌な思いをするニュースを聞きました。

2011年の十二月ごろ、福田二朗全柔連理事は連盟関係者の女性に対し酒に酔った上でキスを強要。嫌がる女性に対し、女子トイレまで追い掛け回し、挙句の果てにタクシーに乗って逃げる女性をタクシーで追跡し交番で警官に諌められるという事態が、この度各メディアによって明らかになりました。

選手に対する体罰や助成金の不正流用問題などで不祥事が続く柔道会あって、「またか」と思わせる以上に絶望的な思いを強くしたのは、福田二朗氏の会見を見たからでした。

「酒を飲みすぎたことでたまたまそういうことが起きた。」「酒の上で、男だからバーとなってキスしようとしたんじゃないかな。」「喜んでいたら文句言わんでしょ。ふふふ。」

特に反省したり謝罪する言葉があるでもなく、「辞めるんだからそれでいいだろう」といわんばかりのぶっきら棒な態度。この会見を見て納得する人はいないのではないでしょうか。

本来なら人並み以上に分別をかな備えてしかるべき地位と年齢にある人が、このような言動をするのが本当に恥ずべき事だと思います。このような人がなぜ責任ある職責についているのでしょうか。

想像するしかありませんが、その要因は日本の体育会的尊厳観や組織の体質にあると思われます。自分より弱い立場にある人間を搾取しないと維持できない尊厳、そしてそのような人間関係の序列を前提とした組織のあり方。いずれも個人的には、時代にそぐわない唾棄すべきものと思われますが、そのような社会や組織にうまく適応した人間が出世して理事になったということは容易に想像可能です。

なぜこのような人間が・・・ではなくこのような人間だからこそ出世したのかもしれません。このような人間を淘汰できないのは、今日的な組織のあり方としては救いようが無いのではないでしょうか。

そもそも被害者がこの問題を最初に連盟に訴えたのは、職場の上司に対してであるが何の対策も講じられなかったそうです。そしてこのような帰結を回避するためには、男社会のなかで物事を完結させない、手っ取り早いのは女性を要職につけるということです。

今回、全柔連が新たに開設した「改革・改善実行プロジェクト」のメンバーに北田典子氏が選出され、六月には谷亮子氏・田辺陽子氏が全柔連理事に選出されたのは定石です。

これら女性の力によって、体育会的尊厳観や組織観の旧弊を打破し、男社会の中で完結しない風通し良い柔道会を作って行って欲しいと思います。

ミズノ スーパースター [萌えろ!80’S]

大体、昨今のジャージは気に入りません。

大抵、ジャケットのウエスト部分がスカスカして風が入りシックリこない。足元が窄まってジッパーであけるタイプのパンツも、探して見つかりません。

オークションで昔のタイプのジャージを探すと、出てきました!!
往年の輝かしいブランドが!!

ミズノ、スーパースター!!

私が小学生の高学年だった80年代の初頭、小学生にとって最大のお洒落とはスポーツメーカーのジャージを着ることでした。ナイキ、アディダス、アシックス・・・。中でもミズノ・スーパースターは裏地がメッシュ加工されており、値段も高くワンランク上といった感じでした。

同学年で、何人がスーパースターを着ていたことか!!

私が着ていたのはレーザーラインと呼ばれるもので、スーパースターの中でも値段がさらにワンランク上。私が買った頃は、同学年に来ているものは誰も居らず、メタリック状に輝く水色のラインにクラスメートの羨望の眼差しが集中したものでした。

オークションでは、80年代前半のモデルが結構な値段で出品されていたりするので、マニア・コレクターもいるのでしょうか。90年台のモデルに当時関心はありませんでしたが、こちらは状態の良いものが安く出品されています。よく見るとなかなか前衛的なデザインで、今でも通用しそうな感じです。

後者を上下600円で落札しました。

今、ミズノからスーパースターのブランドは消えました。

スーパースター・・・。その名を聞けば、高機能で前衛的なデザインのジャージに心が躍らされた小学生時代に少しだけ戻れるかのようです。

甦れ、ミズノ・スーパースター!!



尊厳難民 [共生]

昨今、卑屈な人間が多いと思われます。

卑屈な人間とは、たとえばこうです。

あなたが長年の努力が報われ仕事か何かで一定の成果を成し遂げたとします。すると以下のような卑屈なリアクションをする人間が、きっとあなたの周辺にもいるはずです。

曰く、「あんなのたまたまうまく行っただけだ」「あんなの誰だって出来る」「あんなのやらされているだけだ」・・・。

このように自分自身のの尊厳の脆弱さから、個人の努力・創意工夫・試行錯誤・趣味などを尊重せず、正当に評価することが出来ない人間を、私は「尊厳難民」と呼びます。

そんな卑屈な人間はいつの時代にもどこにでもいましたし、ことさら取り上げるのもどうかと言う向きもあるでしょうが、そのような人間があまりに多ければ弊害もあるであろうとの思いから、我々のコミュニケーション環境に何か問題があるのではないかと考えるのです。

昨年のサイゾー12月号から連載されている興味深い記事を見つけました。小田嶋隆氏による「友達リクエストの時代」という連載コラム。著者は、ひょんなことからネット上の論争に巻き込まれた体験を紹介しています。

「どうせお前のようなヤツは友達のいない寂しい人間に決まっている。」著者によればあるタイプの論敵は決まってこのような罵声を浴びせてくるそうです。さらに、昨今何度かメディアで耳にする「便所メシ」というコミュニケーション作法に言及しています。著者によれば、大学生の間には一人ぼっちでキャンパスを往来する人間を意味する「ぼっち」という言葉があり、自分がこの「ぼっち」であると見破られないために(あるいは間違ってもそう思われないために)生み出した苦肉の食事マナーが「便所メシ」なのだそうです。

我々が大学時代にも昼休みに一緒にランチを共にする友達が見つからない場合、少しは困った記憶がありますが、携帯電話も普及していない当時としてはキャンパスで友達に出会えないことは多かれ少なかれ誰にでもありました。しかし普及した今日、誰からも電話がかかって来ずにキャンパスを一人で往来する「ぼっち」とは本格的な村八分状態を意味するのだ、と著者は言います。

便所で昼食を食べなければならない程に神経質にならざるを得ない状況を、著間的に健全だとは思えません。そしてその原因は探るには「友達の数」という価値がここまで高騰しているという社会的な背景を問題にせざるを得ません。

先の例に戻りましょう。論争する相手に対して「お前のようなヤツは・・・」などど全く議論に関係の無いパーソナリティに言及することは人格攻撃以外の何物でもありません。議論のルールとしては違反していると思われます。しかし、議論の訓練などまともに教育プログラムの中に無い日本においては、高等教育を受けた人物がこのような人格攻撃をして恥じないケースは珍しくありません。

民主主義は最終的に多数決で意思決定がなされますが、それは熟議を経た上でなければトクヴィル言うところの「多数派の専制」に堕ちてしまいます。熟議とは、背景的な合意を理念として共有した上で、明示的かつ公正なルール・手続の元で間主観的議論・批判可能性が高まったときに、相対的に達成されるものだと思われます。逆に理念も共有せず、場当たり的でルール・手続も無い論争において熟議など達成されるわけも無く、手練手管に長けている人間や仕事も勉強もせずに全体の空気を読みながら多数派工作ばかりしている人間に暴力的な権力を与えてしまいます。これで健全な民主主義が達成されるわけはありません。

「友達の数」という価値がここまで高騰している背景には、特定の人間の評価が上記のように無原則かつ暴力的に決まってしまう日本的コミュニケーション環境があるのではないでしょうか。

このような問題意識は別に新しいものではありません。私の知る限り、大衆社会批判で有名な西部邁のような論客の著書には、歴史的・伝統的蓄積を持たず場当たり的で暴力的な多数決原理を振り回す「大衆」による大衆民主主義が「多数派の専制」に堕ちる危険性を指摘しています。

少数意見を尊重するというのも民主主義の一つの価値ではありますが、それは少数意見によって多数意見の誤りが正される可能性を認めればこそです。しかし、場当たり的で暴力的な多数決原理が横行しているコミュニケーション環境において、人は「友達の数」を頼りに「空気」を読んで多数派についたほうが有利だと考える人は少なくないのではないでしょうか。

「日米開戦70周年」と題した記事でも書きましたが、歴史・伝統の蓄積とは様々な軋轢・対立から生み出され、社会的合意の下地となるものです。逆に戦後日本のように軋轢・対立を回避し融和を図る政治文化は、短期的には良くても長い目で見れば歴史的・伝統的蓄積が希薄で社会的合意の曖昧な社会を形成してしまいました。そのような社会的コンテキストにいては、歴史・伝統・ルール・マナー・手続を弁える人もそうでない人も等価になってしまい、あとは「数」(たとえば「友達の数」)がものをいう状況が生まれるのではないでしょうか。

冒頭の問題提起に戻れば、そのような環境において人は疑心暗鬼になり、人は人に対して卑屈な評価を下し自らの尊厳を高めようとするのではないでしょうか。

そのような謬着状態抜け出るためにどうすればよいのか、処方箋は容易に思いつきません。ただ長い目でいえば、明示的かつ公正なルールの下で議論したり評価したり出来るような教育は必要でしょうし、目先の融和に拘泥せず、軋轢・対立を恐れず正々堂々と対立軸を明示し議論できるような政治文化を形成しなければならないでしょう・・・というしかありません。



日本未来の党 [政治]

2012年12月27日、滋賀県知事嘉田由紀子氏を党首とする「日本未来の党」の結党が発表されました。結党当初から、来る衆議院総選挙をにらんでの寄り合いとの批判がありましたが、その政策・理念は重要なものがあったと思われます。

具体的には「びわこ宣言」という形で提示されましたが、その内容を要約すれば、①持続可能な社会の実現、②環境主義、③社会的・文化的多様性の確保、④官僚制・原発・安易な増税に依存しない社会・経済・財政環境の創設、・・・といえるでしょうか。その他、外交・安全保障などについては、アメリカに対する依存度を下げるような外交・貿易・安全保障体制の確立を志向しているようにも見えます。

上記のような主張をするのは、日本では主に左翼でした。しかし、未来の党に合流した勢力を見るとこれまでと様子が異なるのに気づきます。小沢一郎氏や亀井静香氏といった、保守勢力が合流していたからです。

話は多少ずれますが、今回の総選挙において国民新党が沖縄の基地問題について、基地負担の軽減を訴えていたのをご存知でしょうか。このような主張をするのも日本では主に左翼で、保守派は対米関係を重視して辺野古移設案を速やかに実行すべきと主張してきたものです。その他、たとえば貿易についてTPPに反対する姿勢を示すなど、国民新党は対米関係において距離を置く保守勢力であるように見えました。

内紛により国民新党は散りじりになってしましますが、生みの親である亀井氏もそのような主張を持つ人物であることは容易に想像できます。

反米保守の流れです。

未来の党は当初から選挙目的の寄り合い所帯と批判されましたが、その理念・政策を見れば、官僚・原発・アメリカ依存からの脱却を目指して右と左が手を組む可能性を示唆したのではないでしょうか。

未来の党には沢山の著名人がその理念に賛同の声を上げました。稲盛和夫、坂本龍一、菅原文田、茂木健一郎、鳥越俊太郎、これらの著名人も未来の党の政策・理念に共鳴し可能性を見出したのです。

総選挙の結果は、周知の通り惨憺たる有様。未来の党は60を越える改選議席を大幅に減らし二桁に満たない議席しか獲得できませんでした。その後、嘉田代表は責任を取る形で代表を辞任、元社民党の阿部氏と共に小沢氏を共同代表にすべしとの提案を嘉田氏が蹴ったために党内対立が決定的、結党一月余りで未来の党は分裂してしまいました。

週刊誌などに分党に至る過程が書いてあるようですが、嘉田氏の稚拙さ非周到さは否めません。しかし、その理念・政策そして左右が大同において団結する試みは評価してもよいのではないでしょうか。

総選挙における三大争点は、原発・消費税・TPPでしたが、有権者が実際に投票において重視した争点は、経済・雇用でした。大勝した自民党総裁の安倍氏は有権者のそうした声にこたえる形で大胆な金融政策による経済対策を主張し、何もしてないうちから円安・株高をもたらしました。対照的に惨敗した未来の党の政策は、国民の関心も低く、実現に手間隙がかかり、政治的なコストのかかるものばかり、それでいて中長期的にはどのような立場を取ろうとも直面せざるを得ない問題です。

有権者は選挙にいて目先の利益を重視し、近視眼的な選択をしたとは思います。いまさらそれを批判しても詮無い話ですが、今回の総選挙でどのような選択をしたのか、少しは内省的に考えてみても良いのではないでしょうか。



サービス [ユニコーン]

ユニコーンのセカンドアルバム「パニック・アタック」に収録されている「サービス」という曲をご存知でしょうか。

 頭の奥まで感じない 感じない
 ありふれた言葉限り隙間を埋める
 求めるしぐさが許せない 許せない
 はしゃいでるその声が許せない

 お前の体でひき止めてた退屈
 誰が見てるの まるで気の抜けた綱渡り

 このまま目を閉じて明日になれば
 徒に繰り返す ただ徒に終わらない

私の大学時代の友人が、「どんな精神状態でこの曲を書いたのか・・・」と感慨深げに語っていたのを思い出します。

私としてはユニコーンのアルバムの中で「パニック・アタック」はそれほどよく聞いたほうではないのではなく、そんなに印象に残っていませんでしたが、初めてライブビデオを見たとき第一曲目に収録されているこの曲は、独特の映像表現とあいまって強烈な印象を残しました。

分かり合っているようでありながら、絶対に分かり合えない部分が男と女の間にはある、それでも決して分かり合えるための努力を、会話を諦めない・・・。そんな大人の男女がたどり着くような境地を若干押さえ気味のサウンドで表現する、当時10代の私はそれまでそんな曲を知りませんでした。

そして40代を迎えた今日でも、これに比肩するような曲にはめぐり合えていません。

こういうのを、隠れた名曲と言うのでしょうね。

久にぶりにこの曲をyoutubeで聞いて、胸を衝かれる思いがしました。



 

2012 総選挙 [政治]

12月16日、衆議院総選挙が行われました。下馬評どおり自・公で300議席を大幅に上回り、参議院で否決された法案を再可決するのに必要な三分の二をも確保しました。

そもそも解散を決意した野田元総理に明確な戦略やアジェンダも存在せず、ただ日本維新の会の準備が整う前のこの時期に選挙をしたほうが民主党の負けが少なくなるであろう・・・、というような消極的な意図ぐらいしか読み取ることが出来ず、盛り上がりに欠ける選挙となってしましました。事実今回の総選挙は、戦後最低の投票率を記録し、自公圧勝の一因となったことは間違いありません。

今回の総選挙の争点は、メディア的には①原発②消費税③TPPということになっていましたが国民は経済・雇用問題に関心があったようで、それにうまく答えた安倍氏に比較的支持が集まってしまいました。三つの争点の中でも原発・エネルギー問題は関しては、論者によって脱原発・反原発・卒原発など違いが分からない言葉が乱れ飛ぶ中で言葉遊びをしているかのような印象を有権者に与えてしまい、事実上争点から外れてしまった感があります。

最もその煽りを食ったのが「未来の党」で、改選前60以上あった議席を一桁にまで減らしてしまいました。しかも総選挙後には共同代表に小沢氏を迎えるのを嘉田氏が拒否した格好で、未来の党は結党一月足らずで分党することになってしましました。未来の党の訴えた理念には重要なものが沢山あったにもかかわらず、このような帰結を迎えてしまったことでその理念も胡散臭いものに見えてしまうとしたら真に残念です。小沢・亀井氏と嘉田氏の間で、折り合いをつけることが出来なかったのはどんな問題なのか、今後検証が俟たれるところです。

民主党政権中には沢山の出来事がありました。冤罪事件や検察官による証拠の捏造、総選挙前に無罪が確定した小沢事件、沖縄の基地問題、これらことごとく総選挙においてまともに議論されませんでした。民主党政権において積み残されたこれらの問題を省みられることなく、選挙結果もメディアの予想を上回る民主党の大敗北・・・。リベラル勢力にはまだまだ取り組むべき大きな課題があったにもかかわらず、風前の灯火となってしまった現状はある種絶望的です。民主党は、一日も早く解党的出直しをしてリベラル勢力を再結集してほしいものです。

自民党は比例において大敗した前回の総選挙と大して変わらない得票であったにも関わらず
大勝した要因は、一に低投票率、二に小選挙区制、三に小党乱立が上げられるでしょう。一と三は制度上の問題ではありませんが、二は法律を改正すれば変更できます。毎年総理大臣が変わる要因も小選挙区制にあると思われるので、そろそろ選挙制度も本格的に議論して欲しいと思います。

一時代を築いた政治家たちも国会を去りました。鳩山由紀、森嘉朗、羽田孜、渡部恒三、特に渡部氏は福島県選出であるにも関わらず、原発問題について一切目立った言動が無いと言う怠慢ぶり。出自やしがらみもあるでしょうが、さっさと隠居して正解です。

最高裁判事国民審査も前回以上に事態が進展しているように思えません。ネットを使ってもこれと言った情報は手に入らず、唯一頼みにしていた神保哲生のビデオニュース・ドットコムは、総選挙直前に国民審査特集をやったので見ることが出来ず、審査に反映させることができませんでした。司法ジャーナリズムの拡充も、この国の大きな課題です。

総選挙の2日前ぐらい前に秋葉原で行われた安倍晋三の街頭演説に、どこから沸いて出てきたか日の丸を掲げた群集が多数押し寄せた画像をニュースなどで視聴した方も多いと思います。私は日本の右傾化をあまり心配していませんが、いくつかの報道によれば、いよいよ女性の間でも安倍シンパが増えているという情報を見聞するにつけ、状況は好ましくない方向に向かっていると思います。

思えば「日本を取り戻す」という自民党のスローガンは、喪失感に駆られた女性たちの心に響いてしまったのかもしれません。取り戻せるものは取り戻すにやぶさかではありませんが、もはや受け入れなければならない変革や、諦めなければならないものもあると思います。そのような余力のあるうちに、自立的・自足的な経済・雇用環境を一刻も早く築き上げなければなりません。

安倍内閣発足時の高い支持率がそのような方向に向かうことを祈るばかりです。




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